いつもありがとうござます。
チームワークエンジニアのムラタぐです。
2007年4月、会社宛のある問い合わせメールに
私は心が躍りました。
「チーム作りに関するリーダー向けのビジネス書
を書いていただけませんか?」
ビジネス書の老舗の出版社
日本実業出版社さんからの嬉しいオファーでした。
著書の出版は、高校生の頃からの夢でした。
私は小躍りして喜びました。
いつか書きたいと思っていました。
すぐに編集さんとお会いして快諾しました。
2007年の5月から企画会議を重ねて
9月にやっと本の企画がGOになりました。
それから私は、原稿を書き始めました。
2008年の3月が発売の予定日でした。
2008年の1月に原稿を出し終わる予定でした。
私が書きたかったのは
すべての人に必要な「感謝」という「在り方」の本です。
しかも、「神」の力を借りた宗教書ではなく、
科学に基づいた現代のビジネス書として
「感謝」という「在り方」を説くという挑戦です。
それは、とても困難な挑戦でした。
書店のビジネス書のコーナーには
「やり方」で溢れています。
どうやったら問題解決できるか?
どうやったら売れるか?
みんなそれで悩んでいるので
ビジネス書は、「やり方」本が売れます。
だけど、
部下に「感謝」を伝えるには
このタイミングでこんな言葉を言おう!
みたいなうすっぺらい「ハウツー本(やり方)」を
私は書きたくなかったんです。
私の本をよんだリーダーには
そんな在り方の伴わない「やり方」だけの
「うすっぺらいリーダー」にはなって欲しくなかったんです。
いや、私自身がそんな存在になりたくなかったんでしょう。
だから、書けなかったんだと思います。
在り方とは「にじみでる」ものであり
毎日心掛けて少しずつ磨いていくものです。
ハウツー本を書くつもりがない私(在り方を書きたい私)と
わかりやすいハウツー本を作りたい編集者(やり方を書かせたい編集者)
二つの意見は、お互いが正論であり、反論であり
水と油のように一つになれないでいました。
私は、手を変え、品を変え
事例を物語形式にしたり、私の人生を小説のように
書いてみたり、在り方を「感じる」ように
工夫してみました。
「まだまだです。どんどん書いてください。」
「締め切りが迫ってきましたよ」
執筆作業を終えて骨休みとなるはずの
2008年1月の妻との沖縄旅行中にも
私は、何時間も執筆してしまいました。
やっとの思いで書いた原稿。
「渾身の原稿できました!」
自信をもって提出。数日して
「ちょっと作りたい本と違います。
もっと具体的なやり方を書いてください。」
とボツになりました。
「原稿の締め切りを延長しますから。発売は後ろ倒しです。」」
また原稿と格闘です。
「締め切りに追われて、渾身の原稿」→「ボツ」→「発売後ろ倒し」
この苦しい状態が1年続きました。
いつまでも平行線のままでした。
「書けん。どう書いたら伝わるんだろう。わからん!」
悩む私に妻がいたずらっぽく笑顔で言いました。
「辛いなら、やめちゃえば?」
金銭面や契約面では、
執筆の仕事は、「やめさせてください」と
頭を下げれば、いつでもやめられる仕事です。
本にならなければ、報酬は発生しないからです。
事前にお金をもらっているわけではありません。
違約金も何も発生しないのです。契約書もありません。
単に、今までの自分の努力と編集者の努力が無駄になるだけです。
「絶対あきらめない。妥協もしない。できるまで書く。」
編集者さんもよくあきめず、いつまでたっても
自分の望む原稿を書いてこない私を見捨てなかったと思います。
「でもなんで、伝わらないだろう!こんなに一生懸命書いているのに」
・・・・。
それは私の問題でした、。
私自身が「在り方」を書きたいという
「やり方」にとらわれていたからです。
ある時期から、私自身の「在り方」が変わりました。
私自身が「やり方」と「在り方」を
アウフヘーベンできるようになりました。
正と反だった私と編集者の意見が合一するようになりました。
やっと編集者と私の心が一つになったのです。
それは、
リーダーの「在り方」を磨くための「やり方」の本を作る
という目的で心が一つになったということでした。
この境地にたどり着くのに
執筆し始めてから1年以上かかりました。
それからの作業は、比較的、楽しくて速かったです。
結局、企画から完成まで一年八か月かかりました。
執筆期間中は、いつも締め切りに追われて、
まとまって時間ができれば、すかさず原稿を書いていました。
自分の仕事も人の仕事も
自分が受けるセミナー講師として実施するセミナーも
テレビも読書もすべて原稿のヒントになることはないか
目を皿のようにして探していました。
寝ている時も夢の中で原稿を書いているときもありました。
うまく書けない原稿と
常に向き合わねばならなかった苦しかった1年でした。
無意識に「やり方」の罠にはまっていた
私には、その1年は必要な期間だったのでしょう。
こうして
「チームの心を一つになる技術」が完成しました。
私が執筆をあきらめなかった理由は、
私自身が、身近すぎて無意識だった
大きな大きな存在に対する当たり前の感謝でした。
どんな感謝だったのかは
次のブログで書きたいと思います。
心をこめてありがとう。
今日も笑顔で働こう。
今日も皆さまに感謝!