チームワークコンサルタントのムラタぐです。
鳥取西高校文化祭の講演の続きです。
私の人生にもっとも影響した言葉は、
これです。
私の人生にもっとも影響した言葉は、
これです。
17歳のころ出会った竹内均先生の言葉です。
「好きなことを仕事にする」
だけど、
好きなことって仕事にするの難しいですし
そもそも一生かけてやるほど
好きなことって何かを見つけるのが難しいです。
だから、今やっている仕事や
たくさん時間(=情熱)を傾けている活動を
大切にして好きになるように考えてみる。
そうなるように少しずつ努力していく
ということが大事な気がします。
「好きなことを一生の仕事にする」
もいいけど
「仕事を一生かけるほど好きになる」
もとても素敵だと思います。
そうそれば、仕事=好きなこと
という状態になれるんじゃないかな。
と高校生達にお話しました。
アメリカの成功哲学の研究者ナポレオンヒルもこういっています。
考え方のヒントはこれ。
ネイザンストロングマン(強い男)という名前の
三洋電機ラグビー部のNZ人のラガーマンが教えてくれました。
仕事のない人生というのはあり得ません。
そのためには、好きなことと得意なことを組み合わせて
人を喜ばせることを考えましょう。
人が喜んでくれることは、必ず仕事になります。
高校時代のムラタぐの好きなことはとても平凡でした。
部活動でやっていたラグビーが好きでしたが
一生かけてやるほど好きかは疑問だったのです。
できないことができるようになる
だから体育やスポーツが好きでした。
わからないことがわかるようになる
だから結構勉強や読書も好きでした。
自信はないけどラグビーと勉強が好きなことは
たしかなので両方究めるために
東大ラグビー部に入ると決めたのです。
でも現実は厳しく、現役時代は、不合格でした。
早稲田大学の建築学科には合格したのですが
浪人するつもりでした。
明治や早稲田と対戦できて(当時は関東大学対抗戦1部でした)
学問とも両立できそうな気がする(実際にそんなに甘くないのですが)
東京大学ラグビー部に入ると決めていたので。
東大の不合格発表の日、
落胆して東京から埼玉の実家に戻ると母から
「あなた、早稲田に行きなさい。お金払っといたから。
今日が早稲田の入学手続き最終日よ。」
と言われました。
「マジ!もう一回挑戦させてくれよ。まだ一回落ちただけだし」
と払ってしまった入学金をとり返しに
私と母は、高田馬場の早稲田大学理工学部に舞い戻りました。
「間違って入学金払ってしまったので返してください」
と事務所の人に必死に頼みましたが
「いやーそれは返せないルールなんですよね。
ここにもそう書いてあるでしょ。」
とにべも無い返事。
現在はこれは違法と認めらて是正されたそうですが
当時は、これが暗黙の了解でした。
「わかりました。じゃあ、とりあえず入学します。
書類は何ももってきてないので今ここで書きます」
と早稲田大学に入学することになりました。
考えてみれば、ぜいたくな話です。
早稲田でラグビーやってもよかったな?
と今では少し思います。
でも一度ダメだったからといって
あきらめるのは断固として
当時は、受け入れられなかったのです。
母の優しい親心と私の頑固な意地と
当時の歪んだ受験制度がおりなすハーモニーでした。
こうして私の仮面浪人生活が始まりました。
早稲田大学の入学式は複雑な気持ちでした。
周りは晴れやかな顔をした新入生ばかり
私はまだ受験生。
あまり大っぴらに「私は東大目指してます。」
とは言えないので友達づきあいが難しかったです。
しかし、せっかく親にお金をはらってもらって
大学の授業を先に体験するチャンスをもらえたので
授業は全部出席しました。課題やレポートもしっかり出しました。
そして授業の合間に大学の図書館で通信添削のZ会で
受験勉強する日々がはじまりました。
仮面浪人生時代は、頑張ったなあ。
高校時代のラグビーと仮面浪人時代の受験勉強とで
努力することの体力というか基本が身につきました。
それは今の仕事にもとても役立っています。
できるかできないかじゃない。
やるかやらないかだ。
やればできる。
(つづく)
今日も皆様に感謝。
心をこめてありがとう。